「自分はこういう人間だ」という信念は大して当てにならない。
マルコム・グラッドウェルってだれ?
いま、なぜか一人で「マルコム・グラッドウェル祭り」と称して図書館から本を借りまくってきて読み漁っている。The New Yokerでメジャーなキャリアをスタートさせ、何冊ものベストセラーを著しているカナダ人のライター・作家。著作は主に社会心理学や認知心理学の知見に基づいて世の中で起こっていることを分析するのが、彼のお決まりのスタイルらしい。「第一印象は正しいか、また限界はあるのか」を論じた『第1感』なんてまさにそれ。心理学にどっぷり使ってた身には懐かしい研究者の名前などちらほら出てきて「これをこうまとめるんだ!」と面白い。
話題に上っているのは何となく知ってはいたんだけど、わがspirited childな娘の育児があまりに大変であったのと2016年くらいから始めた在宅ワークとストラテラ等を服薬しながらのADHD症状へのコーピングに忙しくて、これまで読む機会がなかった。(直近まで住んでいたいくつかの地域の図書館の蔵書がショボかったというのも理由の一つではあるけれど、要因としては小さいか。そう、ロウワーミドルの専業主婦なのでハードカバーで本を買う余裕はないのですよ……。)
本人の意思は背景の力に浸食される
いま2冊目を読んでいる。『ティッピング・ポイント』という本で、なぜ爆発的にものが売れるのかについて、
- 少数者の法則
- 粘りの法則
- 背景の力
の3つの側面から解説している。
ちょうど「背景の力」についてのセクションに入っているところ。映画がネットで話題になったフィリップ・ジンバルドーのスタンフォード監獄実験など「ああ、アレね!」的な例を出しつつ、本人の意思は行動の決定においてあまり当てにならないという話をしている。
久しぶりにブログを書こう、メモを残しておこうという気になるくらいには面白い。プリンストン大学の心理学者であるジョン・ダーリーとダニエル・バッソンが行った、新約聖書の善きサマリア人の話を知っているであろう神学生を対象にいくつか条件を変えて、路上に倒れている人を助けるかどうかを試すという実験からは、行動を左右したのは信仰や信念ではなく「急いでいるかどうか」という結果が得られた。
行動の方向性を決めるにあたって、心に抱いている確信とか、今何を考えているかというようなことは、行動しているときのその場の背景ほど重要ではないということだ。「あ、遅刻だ」という言葉が、ふだんは憐れみ深い人を他人の苦しみに冷淡な人に変える──あの瞬間だけ別人にしてしまう──働きをしたのだ。
道徳の授業はどこまで意味がある?
この部分を読んで強烈に気になってきたことがある。小学校で教科化される(された?)道徳の授業がどこまで生徒の行動に影響を及ぼすかということ、平たく言えば「意味があるの?」ということだ。
アラフォー世代なら、治安の悪かったニューヨークを生まれ変わらせたジュリアーニNY市長の名前やその方針である「ゼロ・トレランス」を聞いたことがあるんじゃないだろうか? この本の背景の力の部分でも、NYの治安改善方針の支えとなった「割れ窓理論」が紹介されている。ここなら悪いことをしてもいいと思わせる環境が良くないとしたら、道徳を教科化して内申点に関わる位置づけにしたところで、学校内でのいじめの数を減少させるのにはあまり役に立たないのではないかな?
それよりも、いじめを生じさせるようなストレスフルな環境や人間関係を改善することなどが大切なのではないかと。
まだ思いついたばかりで何が関係しているのかとか、教育心理学とかの人たちがどう考えているのかはわからないけど、学齢期を迎える子供の親として、心に留めておきたい。
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