ADHD傾向への気づきになぜ&どう向かい合ったか

ADHD

ADHDかどうか気になっている方も受診した方も同じように経験しているであろうこと。個人差はあると思いますが、やはり最も気になるのは「不注意」や「多動」ではないでしょうか。

ADHD症状は幼児期からすでにあって自覚していた

幼児期から学生時代までのADD症状と自意識、二次障害

「どうしてちゃんとやらないの?」
「やればできるのに、どうして真面目にやらないの?」
「こういうことは根回しも手続きもすごく良くできるのに、肝心のこっちではどうして頑張れないの?」

幼児期から高校生くらいまでの間に親や担任の先生などから幾度となく言われてきた言葉が耳について離れず、長く悩んでいました。

当初はやる気があって始めたことでも、またその課題の重要性を認識していても手をつけられないで先延ばしし続けることは、本当に毎回といっていいほどありました。先延ばしの原因には「その課題自体」や「課題に関連する道具を揃えることを忘れる」なども関係していました。例えば公文式の宿題や学校からの手紙を親に渡すこと、あるいは夏休みの宿題などで問題が頻発したのは、予想がつきますよね?

一つ一つは誤魔化しがきいても、積もり積もると自分の首を真綿のように締め上げていく。あの苦しさは、どうやら定型の人は経験しないらしいですね。昭和50年代生まれの私の周囲には発達障害の可能性を指摘してくれる人などいませんでした。自分以上に忘れたり授業中に手足を動かしたりしている人たちもいましたし。

ただ、親からは「全然自分からやろうとしない」と幼児期から言われ続けて、思春期に至る以前から「私はものぐさな人間だ」と認識するようになっていました。(自己評価は常に低く、二次障害は小学校3年生頃にはあったようです。体育の授業を仮病で休んだりしていましたね。この年齢ですでに失敗を恐れていたせいでした。)

子供時代にADHD症状をどうとらえていたか

親を始めとした周囲に指摘を受けながらも、私自身はその先延ばしの発生時の「やらなくちゃ vs やりたくない」の葛藤の苦しさを味わうとき、どう逃れる術があるのか全くわかりませんでした。

切羽詰まって直前にやることが何度もあったのに、対策をしようともしなかった。いや、対策をしても不十分だったので諦めたり、いつしか対策を立ててもできない自分を認識しないといけないのが怖くなって尻込みしてますます先延ばし傾向を強めたりしていたのが、本当のところだったかもしれません。

気乗りのしない事柄に対してどのようにしたら意欲を維持し労力を割けるのか。それについては曖昧模糊とした「努力」という言葉で表される気持ちの問題で解決しようとしていました。しかし、この気持ちとはすなわちADHDerが嫌いな物に対して抱けない「意欲」なわけで、気の持ちようで解決することばかりではありませんでした。

比較的地頭は良いように思うのに、自分を上手くコントロールできないせいでパフォーマンスを発揮できない。まさに親にいうところの「やればできる子」として高校時代を終えました。

ADHDとは何かを徐々に学び、自分を振り返る

心理学科で発達障害の存在を知る

心理学科の大学生となってから、発達障害とその分類の一つであるADHDの存在を知りました。もっとも、大学生時代は机上の情報として知っただけで、自分の身に引き当てて考えようとはしませんでした。

なぜかと言えば、当時のADHDの紹介内容って「走り回る子」「落ち着きのない子」といった多動性についてフォーカスされていたからです。不注意という話もあったとは思いますが、いま思い返しても教わった記憶がないくらいで、自己分析に至るためのツールにはなりませんでした。

そもそも、病気レベルなら、これまでの学校教育のどこかで先生方から指摘があるものだろうとも思いましたし、学習障害などもないしなぁ(本当はあったようだけど……)と思って流してしまいました。実感がわかなかったんですよね。

大学時代は好きな勉強しなかったこともあります。意欲が

 

ADHD症状による違和感は、大学院・社会人生活でも続いた

社会人以降はADHD症状より二次障害に苦しんだ

大学から大学院、一般企業の社員となって以降も、冒頭のような言葉を周囲の人々(家族・指導教員・同僚・上司など)から言われ続けました。そりゃあそうですよね、認知行動療法や服薬などの具体的な対策をせずに必死に現実に追いつこうと「努力するだけ」でしたから。

ああ、認知行動療法はどちらかというと、ADHD症状それ自体よりも二次障害による自己評価の低さに関連したメンタルヘルスの立て直しのために活用していましたね、当時は。

自己評価が低いのがベースにあり、周囲を挙動不審気味に観察しながら「他人に迷惑をかけないように必死で努力する」が、その努力はせいぜい及第点でしかない。その事実に落ち込み、上司などに注意されて落ち込みを増すと、にその落ち込みのせいで意欲がわかなくなってきて作業効率が下がる。この悪循環で当然評価も下がり、徐々に抑うつを増す。うつで休職から退職に至ったこともありました。

二次障害のためにADHDの概念にたどり着けなかった

そうなってもまだ「ADHDだからこうなった」とは思い至りませんでした。

「仕事が辛いのは当たり前。だれだって辛いと思いながら働いている。だからお給料をもらえるんだ」とは、私がうつで休職して希死念慮にまみれているなか苦しすぎて相談した夫から出た言葉です。まあ酷いと今なら思いますが、当時は「ああ、やっぱり私は甘えているんだな」と思いました。だって、子供時代からずっと「甘え」「努力不足」「うっかりミス」と言われ続けてきたんです。いつも通り自分を責めますよね。

発想の転換というのはエネルギーが要りますよね。転換したら別手の努力が始まります。情報収集をして自分を知らなければいけなくなる。でも、自分の大学・大学院時代の心理学系の友人知人・先生に心理検査や心理療法の被験者として出くわすリスクを避けたくて、どうしても心理系の場にアクセスすることができませんでした。

ADHD症状は出産・乳児育児には無問題だった

発達障害者は子供を産むべきでない、と思う前に出産

経歴は自分や配偶者の事情で途切れ途切れになりましたが、それでも何とか社会人として正社員や派遣社員として努めました。しかし、どこでも短期集中で成果を出し燃える尽きるパターンで、燃え尽きた後は不注意が目立ちました。朝の出勤に間に合わず最寄り駅の先までタクシーとかよくやって、貯金が貯まらなかったりとか。

しかし、完全に専業主婦生活を送ることになって妊娠・出産し数年を減るまでは、特に問題は出なくなりました。何より、他人と時間を合わせてどこかに出かける必要がないのが安定の秘訣でした。

本来なら、自分の発達障害に向き合って「子供に遺伝させるくらいなら、子供を持たず夫婦だけで生きていこう」とか「子供を生みたくないから離婚しよう」となるところかもしれません。幸いというべきなのか、この悩みを持つ前に何となく母としての生活がスタートしました。

親の立場に立つことで二次障害に気づき、癒やしされる

子育ては、私を大きく変えました。二次障害に陥ってしまった理由の多くが実家の父母の「弱い人間をひたすらけなして自分の評価を相対的に上げる」という生存戦略の道具とされていたことに気づいたからです。(もちろん、全く気づいていないどころか、殺してやりたいくらい憎んだことは何度もあったのですが、それが子供じみた逆恨みや反抗ではないと確信できました。)

親というのはつい助けたくなっちゃうものだ、しかも助けるといっても子供本人が望む形で助ける者だ、ということを自分が子育てするなかで体験的に理解できたおかげで、人間の尊厳を尊重するとはどういうことか、人権とは何かを洞察できるようになりました。大きな変化でしたねぇ。

夫も子育てを通して実の親の夫自身への対応に思い至るところ多々あって、私たち夫婦の関係も徐々に「マトモ」なものへと軌道修正されていきました。徐々に互いの傷を語って互いに癒やし合うような感じですね。

そんなわけで、ちょっとメンタルに余裕が出てきました。(いや、育児は育児で大変だったんですけどね、何しろ強情な子相手の育児ですからねぇ……。)

「仕事」的な役割分担でADHD症状が顕在化

PTAの仕事で先延ばし

子供が幼稚園に入園した後、育児がちょっと楽になったのでPTAの仕事に積極的に参加することにしました。途端、いつものアレがやってきました。

「新しい課題が出て、他の人よりも意欲的に精力的に活動し、今までできなかったことがあっという間にできるようになって愉しんで、その課題が終わったら、なんだかつまらなくなってしまって、最後の事後処理ができなくなる」みたいなパターン。「祭り」の時期は良いんですが、CEOとかになるような定型の精力的な人たちと違って、どうもこう長続きしない。

その理由は、意欲の続かなさです。短期集中でやっているうちには「やらなくちゃ」という必死の過集中的義務感で完遂するのですが、少しでも「急ぎじゃなくていいですよ?」なんて気の抜ける言葉をもらうと、風船の空気の抜けるようにシュッと意欲が消え去るんです。

当然先延ばしも発生します。

PTAの先延ばしのツケが家庭生活にも波及

仕事や妊娠出産・乳児育児による多忙さのために、自宅の片づけや掃除は適当だったんです。自分ではそのつもりでした。

ところが、子の入園以降も相変わらずの家事先延ばし。やらなくてはと思うほどに手がつけにくくなってしまう。さらにPTAの仕事を先延ばしたツケの分のしわ寄せも家事に波及してきました。

また、うっかりミスも増えました。会社員時代はスケジュールやタスクは必ず「ほぼ日手帳」などの何でも書き込める手帳で一括管理して乗り切っていましたが、その後は疎かになってしまっていました。スマホ等の外部記憶に頼るようになって「憶える&思い出す」作業が減ったせいかもしれません。そもそもスケジュールの確認の習慣が減っていたことが根底にあったのかもしれませんが。

家族からの悲鳴により問題点の整理のためネット検索し、ADHDに再会

困り果てる中、家族から強い要望の出ていた片づけ対策についてネット検索していたら、たまたまADHD・ADDの症状の説明に出遭いました。

不思議とその時、「ああ、私、やっぱりADDなんだ」という安心感、納得感のようなものがありました。すっと腑に落ちるような感じ。こういう感覚がある時、私にとってそれはたいてい正解です。で、即座に夫に伝えると「それそのままじゃん」という感想。やっぱり感が確信になりました。

これをきっかけにAmazonでADHD関連本を漁って最初に読んだのが、『どうして私、片づけられないの?』という本でした。

努力不足ではないのに「片づけられない」人がいるということや、医療機関や自助グループに参加すれば道が開けるかもしれないこと、何より他者の非難は自分の無能でなく特性に端を発していること。つまり、努力以外の解決策を探す必要があるとはっきり示唆してくれたのが大きかったです。

ADHD啓発本を読んで最初に思ったこと

著者である医師・櫻井公子先生のクリニックは遥か彼方の東京都新宿。なぜ東京都内に住んでいる頃にこの本を手に取れなかったのかと残念です。[Bloggerでのブログ執筆当時は、東京都から遠く離れた地に住んでいました。なお、櫻井先生のクリニックは現在閉院されているようです。)

ADHDと診断が出たら、投薬といった具体的な対策につながるでしょう。しかし、もしグレーゾーンで診断が降りなければ、服薬に頼らずに心理療法や読書療法を用いて症状を緩和できるよう「努力する」しかありません。もちろん、努力なしの治療と社会適応はないでしょうけど、それにしても服薬無しの茨の道でないことを祈るばかりです。

ADHDの特性を生かして何かをしていくこと(私の場合は編み物?)が仕事につながっていけばと思える状況にあるのは、週5日勤務の会社員かつワーキングマザーとして切磋琢磨するよりも楽かもしれません。それは運が良いこと……なのかな。もし今、離婚とか死別とかしたら一挙に切羽詰まってしまいそうですが、まあ、その時は何とか生活保護なりを受給することにして、今できることをやっていきます。

※以前のブログ記事をリライトして読みやすくしています

ADHD

Posted by SONOU Keiko